シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

本を1冊読んで、落ちこぼれから無敵超人になる 〜「普通」になりたかったあの頃(4)

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「社会に出たくないから」「みんな行ってそうだから」という理由で通い始めた大学。

それまでの環境とは大きく違って、自由で開放感を感じました。


・「着なければいけない」制服もない。
・「行かねければいけない」授業もない。
・「毎日顔を合わせなければいけない」友達もいない。
・「決まった場所に座らなきゃいけない」椅子も机もない。
・「話を聞かなきゃいけない」先生もいない。


ここには、これまで僕を苦しめてきた「〜ならない」「〜いけない」が存在しない!


授業も先生もオーダーメイドで自分で選べる。座る場所だって決まっていない。
気分でサボることも構わない。

さらに、一人暮らしをはじめたので帰宅時刻も、家でどのように過ごすのかも自由。


僕は「この環境でなら、生まれ変われそう!!」だという希望を持ち始めます。


実際には、ただダラダラとした生活を日々送るようになります。

入学した当初:まだ、4年ある。いままで散々窮屈な環境で我慢していたのだから、少しぐらいダラダラしててもいいさ。

1年が終わる頃:ま、まあ、最初の1年だからね。まだ3年ある。もう少しのんびり過ごしても大丈夫さ。会社に入ったらこんな風に過ごせないし。

2年が中盤に差し掛かる頃:あれ??半分近く過ぎ去ろうとしている。これまで何をしてきたんだろう・・・・


効率よく単位を選べる授業のみ履修するようになり、授業もあまり出ず、お腹が空いたら起きて近所の定食屋さんに行き、テレビとゲームと漫画に浸り、友人の家に集まって過ごす日々。


「ねばならない」から開放された環境においては、僕はやることがありませんでした。

ほぼ2年間を無駄に費やしていきながら「なにもない空っぽな自分」が日に日に膨らんでいくことを感じるようになります。

自由な環境のなかにいて、密度のない意味のない積み重ねをして、ただでさえ厚みのない人間の僕の中に空気のようなものばかりで満たされていくばかり。


勉強しているフリ、宿題をしているフリ、授業を聞いているフリ。

このまま大人になり、仕事をしているフリ、会議をしているフリ、社会に関心をもっているフリばかりしているくだらない人間になっていくのだろうか・・・。


そうなってくると、「残り、たったの2年間」の大学生生活でなにができるのだろう?

ついに「成人」を迎えるようになろうとするいま、20年という歳月を費やしてここまで情けない人生を歩んでしまった自分なんて、この先、もうどうしようもないのではないのか。


大学3年生に入った頃、一冊の本との出会いがあります。


待ち合わせをしていた本屋でふと気になり、なんとなく開いたところ、当時のアメリカ大統領ビルクリントンの推薦文が目に飛び込んできました。


へえ、現役の大統領が薦める本って、どんな内容なんだろう?


それが、「7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)」という本との出会いでした。


1ページ目から惹きつけられるように没頭しました。「この本は、読まなければならない!」という強烈な感覚があり、一行一行、言葉のひとつひとつが浸透すればするほど、僕の価値観、考え方、細胞が全て変化をしていくようなインパクトがありました。

あるページに差し掛かった時、ある一節が入ってきた瞬間からしばらく動けなくなりました。


ー あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない


え!?許可を与えてもいいんだ・・・

学校には行かなきゃいけないし、勉強はしなきゃいけないし、遊びたいのであれば先にやるべきことをやらなきゃいけないし、やりたいことをやりたいのであればいい成績をとらないといけないし、そうしないと仕事も選べない。生きることも出来ない。


そうではないってこと???


え!?え!?え!?自分で選んでもいいの?でも、でも、ロクに勉強もせず、ダラダラ過ごしている僕のような人間が自由に好きにしてもいいの?

僕は、無意識のうちに自分を「やるべきことをやっていない人間」と設定し、そのような人はやりたいことをやってもいい資格なんてないと制限をかけていたということに徐々に気づき始めます。


大学生活は、残り2年。この期間で「自分の意思」を取り戻さないと、社会に出たら流されるようにロボットみたいな死んだように生きる人間になってしまう。


社会にでる時に、選ぶ会社で一生は決まってしまうだろう。そこから残りの人生を過ごす場所が確定してしまう。なんとしてもここで生まれ変わって「スタートライン」の時点では最高の状態に行こう。


僕のなかでは「7つの習慣」というものは社会に出る直前に人生を諦めかけた最後の最後、ギリギリで用意された自分の人生を生きるための大逆転へのパスポートのように感じられたのです。


最初に何度か1冊を通し読みしました。が、書いている内容は理解できるものの、ほとんどこんなもの実践できそうもない。


「7つの習慣」は大きく分けて、2つにブロックが分かれています。最初が主体的になり自分を確立するという内容。次が、社会性。他者や社会のなかでどのように振る舞っていくかという内容です。


読み込んでいって、まず前半部分の自立に取り組むことに決めました。後半以降は社会人になる段階で進んでいけばいいと判断したからです。

第1章、第2章を中心に繰り返し読み込んでいきました。移動中も、家にいる時も、何度も何度も反復していきます。


ある程度掴んだら、第3章以降を通しで読みながら確認し、どれだけ理解しているのか把握しながら、また冒頭を繰り返し読んで実践していくということをやっていきました。

学生時代だけで、20回以上は読み込んだでしょう。


1冊めはあまりにもボロボロになり読めなくなったので、2冊めを購入しました。


ここまで何かに取りんだことはなく、さらに日々考え方、価値観、ものの見方や捉え方が変化をする手応えがあり、大学時代の残り2年間の許す限りの時間を費やしていきました。


僕の人生の中で「こう」と決めたら異常に入り込んでしまう最初の体験です。


就職をする頃には、謎の圧倒的な自信、万能感が湧いていました。

「オレが思ったことは全部叶う」「オレならば人生どうにでもなる」「できないことなんて、なにもないね」「本当、周りは意識低いよね。人生とか考えてなさそうだけど、大丈夫なんだろうか?」と、友人たちを心配するほどに極端な方向に振れていくことになっていくのです。


たった一冊を読んだだけで、世界の全てを手にし、神になったかのような感覚になったひとりの大学生は、こうして社会にでていくことになりました。