シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

いきなり、マイナスしか考えられなくなる〜「普通」になりたかったあの頃(2)

f:id:horiuchiyasutaka:20180614234054j:plain



学校の先生や両親の反応を見て、どうも自分が普通ではないことは分かります。


中学生の頃、担任の先生に呼び出され、二人きりになり肩に手を置かれ、真顔でこう言われたことがあります。

「堀内、お前クラスで浮いているぞ。お前みたいなヤツが行く病院あるから、
 一度マジで診察受けたほうがいい。」


が、正直なところ僕にも、どの辺りが “浮いている” ということなのか、わからないのです。

加えて当時の僕は落ち込んで悩むということがありませんでした。自分が幸せで恵まれていて、みんなに好かれていると思っていました。

だから、先生からこのように言われようとも、深刻に思い悩むということもありません。

むしろ、どこか褒められたような感覚になっている始末。少なくともクラスのみんなの中で印象には残っているということだ。

まったく何の記憶に残らない人間よりは、どんな形であっても存在しているという方がはるかにいいに決まっている。


このように、当時は「みんなのようにまともになりたい」と思う自分と、「みんなの心に爪痕を残したい」という両面がいつも僕の中にありました。


いつもどこか浮いてたし、ふわふわしていました。「お前は極楽トンボ、能天気でいいねえ」とよくわれたものです。

そう言われても、人生ってどうせ失敗というものがないし、自分は根拠なく運がいい。なにがおきたって心配することないのに、なにをみんなガタガタ言ってるんだろう?と感じているところがありました。

親から見たときにこのままだと危なっかしくって生きていけるのか?と映ったのでしょうが、僕はのんびりしていました。

周りからは「このままで大丈夫?」と思われてたけど、自分は何かに守られているから絶対大丈夫、と思っていたのです。


ある時、歩いていると、全部が映画の場面みたいに幻に見えることがありました。

あれ??僕が観ている世界って本当に存在するの?実は、ひとりひとり世界って違うんじゃない?学校の友達とか本当はいないんじゃない?などと思ったこともあります。

僕が見ているこの「赤」は、人によっては違う「赤」なんじゃないか、とか考えていました。


現実がどうあっても、不安や心配にならない。僕の内面は幸せでのんびりとしているところがありました。


いま思うと、スピリチュアルの世界で言うところの「繋がっている感覚」だったのかも知れません。


そのあたりの感覚が、高校生のときになくなったのです。

いや、「意図して」失くしたのです。


友人で小林くんという人がいました。超イケメンで、運動神経も抜群。

彼が、ことあるごとに憂いていて、なんだかカッコよく見えたのです。

クラスや部活でなにかあるとそれはもう真剣に話している。心配していたり苦悩している姿が何だかセクシーで、のほほん、ふわふわだけで生きてきた僕には新鮮でした。


・・な、なんだか「そっち側」に生きたいではないですか!


そもそも、このまま物事のマイナス面を見られないと社会のなかを生きていけないのでは!?普通はもっと深刻だったり悩んでいたり、「現実」を見ていそうだし、影を背負っていそうだし、女子にだってモテそうじゃないか!


「よーーし!今から、マイナスを見ることにする!」と、ある日決めました。

ここで、マイナス「も」としておけばよかったのです。


僕はその瞬間から、マイナス面ばかり見えるようになってしまって、いきなり暗い人になってしまいました。

何を考えても、よい風に捉えられない。気分が沈む。いちいちくよくよ考えて、人の目ばかり気にするようになり、比較ばかりするようになりました。「どうせ自分なんて・・・」とどんどんコンプレックスの塊になっていったのです。


こうして、物事のプラス面しか捉えられなかった僕は、望み通りマイナス面ばかりを見ることしかできなくなりました。



・・・そして、その後、見事友人からは「お前さあ、どうしてそんな風にものごとを暗くしか捉えれないわけ!?もっと明るく考えようよ!!!」と言われるほどにダークオーラを発するようになっていったのです。