シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

「普通になる」ための生存戦略を練る〜「普通」になりたかったあの頃(1)

f:id:horiuchiyasutaka:20180614234054j:plain







最近、Twitterをしています。

で、昨日いろいろと書いているうちに昔のことを思い出しまして・・


 

 




それで、書いているうちに昔の自分のことをじわじわと思い出しまして。


人には、とても言えないみっともない自分がいることがどんどん出てきまして。



いやーーー恥ずかしい!



僕、小学生の頃から何度も言われていたことがあるんです。


「落ち着きがない」


成績表の先生からの言葉には必ず「堀内くんは落ち着きがありません」と書かれていました。

三者面談で、母親が先生から必ず言われ、
そのたびに「ああ・・・」とすでにそれを予測していたかのようなそぶりを見せるたび、横で小さくなっていました。



落ち着きたくても落ち着けないんです。


机に5分10分も座っていると身体がゾワゾワしてきて、
先生の話も教科書もほとんど頭に入って来ないのです。


それで、身体を動かしていたり落書きをしていたり
妄想や空想をしていると、少しだけ落ち着いてくるのですね。


授業なんてほとんど耳に入りません。
文字も入って来やしません。


無理やり入れようとすると、全身がざわつきます。



一番苦痛なのは「やらなきゃいけない」ことです。


そして自分から自発的にやり始めた以外のことは

すべて「やらなきゃいけない」ことに自動的に変換される機能を
僕は搭載しているのです。


僕にとって、学校というものはまさに「やらなきゃいけない」ことのオンパレード。


「学校に行かなきゃいけない
「教科書を読まなきゃいけない
「勉強しなきゃいけない



このあたりのことから始まり


「45分間机に座っていないといけない
「静かにしてないといけない

「集中しなきゃいけない
「余計なことをしてはいけない



これらはすべて拷問でした。

「みんなできているから」とか「やっているから」なんて関係ありません。



もう、まともに座っていることですら苦痛で苦痛で仕方ありません。


静かに座っていようとすると身体のなかを虫が
ゾワゾワゾワゾワと走るような感覚になるのです。


なんとか時間をやり過ごそうと消しゴムを左から右へ移動させたり
椅子を小刻みに動かしたり、
教科書にでてくる偉人の鼻毛を片っ端から伸ばしたり・・・


このように自分を落ち着かせようとしていた行為が
さらなる落ち着きのなさを生み出すという悪循環。



ある日、給食の時間に学校で流される放送をクラスで放送することになりました。

友達でペアを組んで、相手のことを紹介するのです。
基本この手のお約束で「いいところ」を話します。

ひとりひとりが相方の紹介をラジカセに吹き込んでいきます。


そして、僕の番。自分が何を言ったのかも、どのようなことを話したのかも覚えていません。


ただ、僕の言われたことはいまでも覚えています。


「堀内恭隆くんを紹介します。
 授業中に走り回っていたり、うるさいです。

 もう少し、静かにしましょう。」


なぜか、お昼休みに説教食らわされてる( ;∀;)



最悪なことに、僕は言われていることの意味がわからなかったのです。


言葉はわかるのだけど、自分はそこまで目立って騒いでいるわけではないし、他の子と何が違うのか、わからない。



どうも、空気から何やら自分が浮いているらしいということはわかる。


が、何がおかしいのかわからない。


とにかく、普通の子ができることが、普通にできない。



この頃の僕が目標としていたのは、「普通になる」ということでした。



そこで「普通になる」ための生存戦略を練っていったのが僕の10代の歴史だったのです。