シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

「私」が幸せ以外に何の意味がある?

「人の目から見た幸せな私」が「自分の幸せ」になると疲れてきますよね。


誰も見てくれなくても、気に留めてくれなくても、幸せになることはできます。


家の中でお茶飲んでるとか、ぼーーっとしてるとか、なんでも良くて。

「幸せだな」って感じるだけなんですよね。


「あの人と比べて幸せだな」というのは、少し面倒で

シンプルに

「幸せだな」と感じることが大切なのです。

 

 

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ややこしいことに、いま幸せを感じているとしても、僕たちは不安になることがあるのです。

それは「あれ?もしかして  私がそうだと感じてるだけで  実は違うのかも」とほんのり浮かんだとき。


幸せなのに、疑うのね。

「もしかしたら  私が知らないだけで  本当の幸せって他にあるのかも」


とか、考え出してしまうのね。


貪欲に求めていくのは別に構わない。いま以上の幸せを求めることだって、自然なことです。


でも、“ いま ” 幸せを体験しているのであれば、
見逃してしまうのはどうなんでしょう?


それをちゃんと感じて「イエス」を出していかないと

どんどん正解を生み出す力は弱まってしまうんだよ?


「私がそうだと感じているだけで」何がいけないんだろう?

……自分の感覚に「イエス」を与える力が弱まっているなら、誰かの評価に振り回されていくだけです。


「私がそうだと感じているだけで」何がいけないんだろう?

……そこに理解とか、共感とか、仲間を求めようとすればするほど、「私の正解」から遠ざかっていくのです。


そうなると「人が集まってそうな場所にある正解」を求めてしまうようになってしまいます。



そこには「私」という存在はいるんだろうか?



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「私の幸せ」にいると、「いいな」と感じる人は必ず現れます。

不幸そうにしている人よりも、幸せそうにしている人に、僕たちは惹かれるからです。


だから幸せでいれば、共感も仲間も自然と集まってきます。


そして、自分の幸せを中心とした
場所であるならば、そこには「私」はいます。



当然、「私の幸せ」もそこにはあります。


だから、自分の感覚で「これでいい」と感じる場所にいよう。

正解を生み出す力を高めよう。

「私がそうだと感じているだけで」十分なんだと、イエスを与えてあげよう。

誰よりも真っ先に、自分で自分の感覚を承認していこう。


「この程度で」幸せになってもいいし
「こんな状況で」幸せになってもいい。

他の人だったら「こんなこと」で納得しない、満足しない。
ここで止まってしまったら置いていかれることになるかもしれない。

……と不安を感じていても、幸せになっていい。



その上で「可能性」だって開けるんだよ。




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「可能性」は、いつだって未知なる場所にあるのです。

「私の感覚」が望んだときには、素直に飛び込んでみましょう。


この場合、「いまの幸せ」よりも「未知なる予感」に僕たちの感覚は惹かれています。


それってとても怖いかもしれない。

どんなことになるか分からないから。

何が起きるか分からないから。


そしてそんなときにも、ついつい「誰かの目」が欲しくなってしまうんだよね。

「大丈夫だよ」「正解だよ」って言葉が欲しくなるんだよね。


でもね「誰かの目」って、
必ず僕たちの力を弱めてしまうんだ。


それは、「他人の目の範囲」に自分が制限されてしまうから。

ここでも、自分の感覚に「イエス」を出せるかどうかが大切です。


行こうとしている先は、他人にとってはどうでもいいことかも知れない。

何の評価もしてくれないかも知れない。仲間もいないかも知れない。


でも、「私」は確実にそこにいます。


なぜならば、「私」が求めている場所だから。

多くの誰かが「そこは素敵だよ」って言ってくれそうな場所でなく、「私がそうだと感じる」場所だから。


そして、勇気を出して踏み出した先で得られたものは「私のもの」になる。

もし、そこに幸せがあったならば、「私の幸せ」になる。


そうしたら、そこでちゃんと「幸せ」にいればいい。

いずれ仲間は集まってくる。


今いる場所でも、これから向かう先にある場所でも、「私」がいるかどうかが大切です。


順番間違っちゃいけないよ。


「多くの人が集まっている場所」でなくて、「私がいる場所」に全部あるんだよ。


まずは私。


「人の目」なんて、放り出してしまいましょう!


それだけで「幸せ」ってぐっとシンプルになりますよ。

コンプレックスって全部思い込み。本当は存在していないんだよー。

コンプレックスって「自己否定したところ」から生まれるんだよねー。

能力や見た目、頭の良し悪しなどの「あるなし」からにみえ、ても、実際はそこではなくて。


自分で否定してしまったところだから
何かを身につけても、結果をだしても
結局の所は、コンプレックスそのものは解消はしないのです。


もし、コンプレックスを解消したいというのであれば
目を向けていくのは「自己否定」してしまった部分。



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そしてそこを見つめるのは、かなり怖かったりします。

なんとかして拭い去ろうとしている
「コンプレックス」そのものに目を向ける訳なので。


それで、目を向けて見つめつづけると

「悔しい」「恥ずかしい」「情けない「悲しい」
「自分にはなくてごめんなさい」などといった気持ちに行き当たるはずです。


そしてそれらの多くは、昔の、子供の頃の自分が持っているものだったりします。


その子供が、ずっとずっといまも抱えているのです。



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でね、自己否定したとき、本当は何が欲しかったのだろう?


誰かに褒めて欲しかったのかな?

認めて欲しかったのかな?

本当は言いたいことがあったのかな?

やりたいことがあったのかな?


「それ」求めても大丈夫だから。

やってしまっても大丈夫だから。

自由になってしまって構わないから。


「それ」抱えなくても、そのまま表現したいことやっちゃってもいいから。

褒めて欲しいんだったら「褒めて褒めて!!」って求めてもいいから。

怖かったら「怖かったんだよー」って思い切り解放してもいいから。

嬉しかったら、人の目なんて気にせず、思い切り喜んでいいから。



こんな風にコンプレックスって

「私は、できないからやっちゃダメ」
「私には、ないから手に入らない」
「私は、あの人たちみたいにはできない」
「みんなみたいに持ってないから……」

って諦めてしまっているものが紐付いているのです。


それ全部、解消しようがしまいが、
やっちゃっていいんだから!



元々、コンプレックスなんて、全部思い込みなのです。


「昔の自分」が、自分にはないからダメなんだ、できないんだってことを

「あ、もういいんだ」「あろうとなかろうと関係ないんだ!」

って楽になればなるほど、コンプレックスは消えていくのです。

元々、なかったものだから。


赤ちゃんの頃は、見た目がどうであろうと、頭の回転がどうであろうと
運動神経がどうであろうと、性格がどうであろうと、気にしてないでしょう。


そうなの、元々「気にしてない」。

つまり、コンプレックスなんて、元々存在していないのさー。



だからね、やりたいことや表現したいことにフォーカスしていきましょう。

特に、コンプレックスと絡みそうなら怖いかもしれない。

だって、そこは自分にとって圧倒的に「できない」世界だから。



でもね。一歩踏み出してみて!


 

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そうすればするほど、「何だ、気にしなくってよかったのか!」って
コンプレックスなんてどうでもよくなっていくから。


かつて、気に病んでしまった自分がいる。

そして、踏み込めなくなってしまった領域がある。

でも、今日からでもそこに踏み出せる。諦める必要は、まったくない。


だって、思い込みなんだから。


そしてその奥に諦めかけてしまった
「願い」が眠っているのです。



このコンプレックス「さえ」なければ、手に入っている「はず」のもの。

できている「はず」のもの。


この「さえ」も「はず」も、すべて思い込み。


「あの人たちみたいになれたら、手に入るもの」

なんて、ない。


そして、どこか諦めてしまったものをしっかり見つめて、
その奥にある声をちゃんと受け止めてみて。


本当は、なにが欲しいの?

なにを表現したいの?

どんな気持ちを伝えたいの?

どんなことをやりたいの?


この声を聴き始めることは、
「できない世界」から「できる世界」への
最初のスタートです。



あまりにも長く抱えすぎた「自分にはできない」は
染み付いているかも知れないけれど
もとはなかったものだから、ちゃんと外れます。


だから、いまこそ勇気をもって踏み出そう。

「伝えよう」としなくても、「伝わってしまう」からさ!

誰かになにかを伝え始めると、ハマってしまいがちな罠があります。

「幸せになる方法」「上手くいく方法」を教えようしてしまう。


場合によっては、「落とし穴」にハマってしまう人を見て
「なんとか救ってあげないと!!!」みたいに感じてしまう。


そこに、一生懸命にならなくても大丈夫だよ。


お金をいただいたり、「仕事」を意識すると
力が入りすぎてしまう場合があるんだよねー。


それよりも「自分は幸せだな〜」というのを
しっかり胎落ちさせて生きていれば、勝手に人は拾っていくから。


まず、「自分は幸せだな」ということを胎落ちさせるの。

(探っていくと、納得しない。認めないって自分が結構いたりするから!!)



特に「頑張って頑張って、いまの自分になった!」
「めっちゃ苦労してきた!」というものを抱えている場合には
心の底では今は幸せだとなかなか認められないはず。


そうなると、報われたくなるの。
これまでの努力を。

そして、アピールしたくなる。


「本当に本当に本当にっっっこれまで
 超超超超超超苦労してきたんだからっっっ!!!!」



って、やりたくなるの。


そして、誰かに伝えようとすると

「こおおおおおおんなに苦労しないと、
 ここまで来れないんだぜーーー!!!!!」



って無意識のうちに言ってしまうの。


そうすると、相手は「苦労しないとうまくいかないんだーーー!」って受け取ってしまう。

 
そうなればなるほど、自分のところに来る人たちは
「大変な状況」にいるようになっていくのです。


「幸せ」から距離が空いてしまうの。


その距離が長ければ長いほど、自分のやってきたことに
価値が感じられるような気がしてしまうのね。




まずまずまずね、改めて自分に目を向けてみようね。


めっちゃ頑張ってきたこと、ちゃんと受け止めてあげてる?


誰にも理解されなくても
「自分の小さな声」を信じて行動しつづけてきたことを見てる?


どれだけ自分を奮い立たせてきて
そんな自分の期待に応えようとやってきたのか
そこを感じ取ってあげてる?


「あーーーーそっかーーー。こんな風に頑張ってきたから
 ここまで来れたんだね。ありがとう。」

って、自然と自分に感謝が湧いてくるところまでやってみると
一気に軽くなっていくよー。


まず、「いまの自分」が「幸せな場所に立っている」とオッケーをしてあげる。


しっかり、深く、肚落ちさせる。


そうしたら、次は、そこに「立っている」だけでいい。



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接してくる人はね、「幸せな場所に立っている」あなたを見て
憧れを感じて

「どうしたらあんな風になれるんだろう?」と勝手に考えて
それぞれの答えをだしていくから。


そして「ありがとう!あの時、おかげで幸せになりました!」って
お礼を言いに会いに来てくれるから。


「幸せになるための方法」じゃなくて
「幸せな場所に立っている」ってことがはるかに大切なのです。


それだけで、十分メッセージになるんだよ。

 

 

自分に、「もう幸せになっていい」って許可を出してあげようね。

 

「あ、そうか、私幸せだったんだ」って肚落ちすると力が抜けていくよー。

 

お疲れ様、頑張ってきたね。ありがとう。って一杯感謝してみてね。

 

そんな状態で人前に立ったならば、伝えなくても勝手に伝わっていきます。

 

この人、幸せそうだなあ。楽しそうだなあ。しかも、無理してないし強引さとかもない。

だからきっと、本当なんだろうな。

 

この人からもっともっと吸収したい。どうしたらこんな風にいられるようになるんだろう?

 

こんな風に、勝手に受け取って、勝手に考えて、自分なりのやり方を見つけて、幸せになっていくから。

 

だから、伝えようとしなくていい。

 

まず、今の自分が幸せだってこと、肚落ちさせてみてね。

 

それから、そこに至るまでの自分の頑張りを受け止めて、感謝してみてね。

 

そうすれば、伝わるようになります。