シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

人を教育することに目覚める 〜「普通」になりたかったあの頃(6)

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IT界の巨人、ビル・ゲイツのような存在になることに焦点を絞った僕は、入社2年目に入った時点で「新人の教育を僕にやらせてください!」と上司に交渉して、担当することになりました。


将来、社長になった頃には今の経営陣はどうせいない。その頃に会社を動かしているのは、これから入ってくる連中だ。だから、いまのうちに彼らと関係をつくっておいたほうがいい。

ひよこは、最初に卵の殻を割ったときに見た存在を親鶏と思うそうだ。つまり、入ってきてからのウブな時代から立ち位置をつくっておけば、これから先、かなり有利に働くに違いない。


そして、やるのであれば、そこらへんの研修会社なんて相手にならない程、教育での効果をあげてやろう。


僕は、「教わるより、教える方がはるかに学習する」ということを、経験で掴んでいました。

その頃には、電車通勤の半分の時間を自己啓発や心理学の勉強し、残りの半分を大学の教室でその内容を教えるというイメージトレーニングを毎日やっていました。

これは効果てきめんでした。面白いように、読んだ本の内容が入ってくるのです。頭で覚えるというより、身体で掴むという感覚に似ています。


新入社員教育では、そのやり方を応用することにしました。


まず、新入社員を密室に集めます。

「おうお前ら、ここがどういう場所かわかってるんだろうな?学校と違って、誰もやることを与えてくれない。自分でテーマを見つけないといけない場所だ。実力のあるやつはどんどん出世をするが、何もしないやつは、どんどん置いていかれる。この一瞬で誰が見ているか分からない。いいか?例えば、目の前に話しているこの偉そうな先輩が将来社長になっている可能性がある。となると、ヤバくない?未来の社長だよ?つまり、つねに本番のつもりで全力をつくすんだよ。そうしなければ、何もない人生で終わるだけだ。そんなの嫌だろう??」


と、20年ほど酸いも甘いも体験し、社会の全てを知り尽くした大御所のようにブチかます所からスタートです。実際は、1年しか変わらないペーペーなのですが。


まず、「受け身」という姿勢を初っ端から破壊する必要があると考えました。当事者として積極的に獲りにいく姿勢でなければ、何も学ぶことはできません。


そして、ここからです。システム・エンジニアとして必要な基本知識を僕はリストアップしていました。


それを何個かずつ、新人に調べる課題を与えます。


「君は、DNSとプロトコルとC言語・・君は、TCP/IPとデータベースとファイアウォール・・君は・・・」

といったように。


そして、「明日の15時にここにまた集合。調べてきたことを、ここにいる全員に教えてもらいます。いい?もしも、このメンバーが覚えられない項目があったら、教えたヤツの責任だから。


面白いことに、お互いに教え合うと初めての知識でもある程度のところまで覚えてしまうのです。

これを2日間ほど続けて、彼らを課長の前に連れていきます。

「課長!いやあ、今年の新人はやる気がありましてね!なんと!自分達でこれから使う技術や知識について調べてきて、課長にそれをプレゼンするって言って聞かないんですよ!!!いやあ、マジでとんでもなくやる気にあるヤツラで!!!課長は重大なあのプロジェクトを今抱えていて、1秒でも時間がもったいないということは十分に理解しています。いや、本当に、コイツら言い出したら聞かないもんで。申し訳ありません!!

後ろに控えている新人君たちは、真っ青です。


そこで、彼らにさらに別の項目を与えて、同じように課長の前で翌日披露してもらいました。

仕上げは、事業部長です。


やはり、同じようにいきなり事業部長の前に引き連れて直接交渉します。


新人にとっては、職場に配属されたばかりで右も左もよく分からない段階で、何だか知らないけれどもの凄い上の偉い人に対して、覚えたばかりのことを話さなければいけません。もう、必死です。

このやり方を取ると、1週間もあれば基本的な知識は身につきます。


これは、面白かったです。専門知識がなくて、単語を聞いただけでも固まっていた子たちが、みるみるうちに成長して、変化していく。


人を教育するということに目覚めた瞬間です。


そして、その頃、僕は初めての体験をすることになるのです。


女装です。

IT界の巨人、ビル・ゲイツと対決する 〜「普通」になりたかったあの頃(5)

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大学時代の2年間で「7つの習慣」という本を20回読んだだけで、妙な万能感を身に着けた僕は、1500人ほどのIT企業に社長になるつもりで入社しました。


入社式では、周りを見渡し「いずれ全員俺の下で使ってやる」「ここにいる誰が、俺の幹部になっているのだろう」と “将来の部下たち” を品定めしていました。


入社式の時点で「社長への生き残りレース」はスタートしています。

頂点になるからには、その時点でのトップに常になっている必要がある。この時点で脱落しているようではお話にならない。


そして、今は先輩や上司という立場の人間も含めていずれは部下になるのだから、堀内という人間はちょっと普通と違うというところを印象付けなければならない。


僕が入社した会社はIX(現アイエックス・ナレッジ)という情報関係の会社です。


実は、パソコンもほとんど触ったこともなく、コピー&ペーストといった基本も知らない状態でした。

でも、「7つの習慣」という成功の基礎をオレは手にしている。IT関連の知識なんて、それと比べたら大したことはない。むしろ、マネジメント層になってから大きく差がつくだろう。と、肥大化した自信は揺らぎません。


正直なところ、パソコンの専門学校を出たり、学生の頃から身近に触れている人達には技術力や知識では、その時点で歯が立ちませんでした。


そこで、「仕事」で差をつけることにしたのです。


誰もやりたがらない仕事を積極的に取りにいくことにしました。上司が「ああ、困ったな。これ、誰かやるヤツいないかな・・・」と周りを見渡した時、それが周ってこないように視線をモニタから離さず「いま、いっぱいっぱいですから!!」と声を掛けるなフィールドを皆が張るようなものです。


それらの仕事を片っ端から取っていったのです。内容は確認しません。どうせわからないから。表情だけ、いかにも「ああ、オレそれ知ってますよ。軽くこなしてみせますよ」という風情で。

メールサーバという単語を聞いたこともないのに、「ああ、それなら2週間でできますよ」と仕事を引き受けて、そこから「メールサーバ」と検索エンジンで打ち、最初に出てきた100個ぐらいのページを全て印刷し読み込んでいき帰りがけに本屋に寄って「メールサーバ」と目についた書籍を片っ端から目を通していく。


そんなことを繰り返していました。これが面白いことに、できないことがないのです。


僕の中では、その頃には「7つの習慣」以外にも自己啓発や心理学の本を読み込んでいっていたのですが、「やると決めたらできる」とそこには書いてあり、事実そうだったのです。


できると思えば、何でもできるじゃん!社長にだってこうやって全部目の前のことへ取り組んでいけば、たどり着けるに違いない。

残業も徹夜も僕にはチャンスにしか思えませんでした。


会社に提出する資料も重要視していました。将来取締役になるような人も含めて、目を通す可能性が高いです。この時点から「堀内はものが違う」と印象づけておくことで、将来大きな仕事を任せてもらえるチャンスもでてくるだろう。


その時点で取ってこれる一番大きな仕事を先に取る。できるできないは関係ない。それをこなす。それを繰り返していきました。


次第に上司からも認められて、入社1年目の最後にそのチームのプロジェクトリーダーに抜擢されることになりました。さらに、別部門の取締役から「堀内くんを、ウチに欲しい」と有り難いお話をいただくこともありました。


ですが、僕のなかで焦りがありました。すっかり肥大化した自意識は、IT界の巨人、あのビル・ゲイツと自分をくらべるようになっていたのです。


いつのまにやら、社長をすっ飛ばして世界的企業グループのトップになっている自分を妄想するようになっていました。


「このままでは、ビルに追いつけない」「こうしている間にも、ビルも成長している。」「ビルのヤツに引き離されてたまるかっっ!!!」

このプロジェクト、ビルがオレと同じ立場だったら、どういう視点に立って、どう振る舞って、どうこなしているだろう・・・

この瞬間、ビルは何を考えているのだろう?オレとは視野や世界観は違うのだろうか?追いつくまでにどのぐらいかかるのだろうか?


職場のなかで、ひとりの新入社員とビル・ゲイツの孤独な戦いは続くのでした。

本を1冊読んで、落ちこぼれから無敵超人になる 〜「普通」になりたかったあの頃(4)

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「社会に出たくないから」「みんな行ってそうだから」という理由で通い始めた大学。

それまでの環境とは大きく違って、自由で開放感を感じました。


・「着なければいけない」制服もない。
・「行かねければいけない」授業もない。
・「毎日顔を合わせなければいけない」友達もいない。
・「決まった場所に座らなきゃいけない」椅子も机もない。
・「話を聞かなきゃいけない」先生もいない。


ここには、これまで僕を苦しめてきた「〜ならない」「〜いけない」が存在しない!


授業も先生もオーダーメイドで自分で選べる。座る場所だって決まっていない。
気分でサボることも構わない。

さらに、一人暮らしをはじめたので帰宅時刻も、家でどのように過ごすのかも自由。


僕は「この環境でなら、生まれ変われそう!!」だという希望を持ち始めます。


実際には、ただダラダラとした生活を日々送るようになります。

入学した当初:まだ、4年ある。いままで散々窮屈な環境で我慢していたのだから、少しぐらいダラダラしててもいいさ。

1年が終わる頃:ま、まあ、最初の1年だからね。まだ3年ある。もう少しのんびり過ごしても大丈夫さ。会社に入ったらこんな風に過ごせないし。

2年が中盤に差し掛かる頃:あれ??半分近く過ぎ去ろうとしている。これまで何をしてきたんだろう・・・・


効率よく単位を選べる授業のみ履修するようになり、授業もあまり出ず、お腹が空いたら起きて近所の定食屋さんに行き、テレビとゲームと漫画に浸り、友人の家に集まって過ごす日々。


「ねばならない」から開放された環境においては、僕はやることがありませんでした。

ほぼ2年間を無駄に費やしていきながら「なにもない空っぽな自分」が日に日に膨らんでいくことを感じるようになります。

自由な環境のなかにいて、密度のない意味のない積み重ねをして、ただでさえ厚みのない人間の僕の中に空気のようなものばかりで満たされていくばかり。


勉強しているフリ、宿題をしているフリ、授業を聞いているフリ。

このまま大人になり、仕事をしているフリ、会議をしているフリ、社会に関心をもっているフリばかりしているくだらない人間になっていくのだろうか・・・。


そうなってくると、「残り、たったの2年間」の大学生生活でなにができるのだろう?

ついに「成人」を迎えるようになろうとするいま、20年という歳月を費やしてここまで情けない人生を歩んでしまった自分なんて、この先、もうどうしようもないのではないのか。


大学3年生に入った頃、一冊の本との出会いがあります。


待ち合わせをしていた本屋でふと気になり、なんとなく開いたところ、当時のアメリカ大統領ビルクリントンの推薦文が目に飛び込んできました。


へえ、現役の大統領が薦める本って、どんな内容なんだろう?


それが、「7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)」という本との出会いでした。


1ページ目から惹きつけられるように没頭しました。「この本は、読まなければならない!」という強烈な感覚があり、一行一行、言葉のひとつひとつが浸透すればするほど、僕の価値観、考え方、細胞が全て変化をしていくようなインパクトがありました。

あるページに差し掛かった時、ある一節が入ってきた瞬間からしばらく動けなくなりました。


ー あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない


え!?許可を与えてもいいんだ・・・

学校には行かなきゃいけないし、勉強はしなきゃいけないし、遊びたいのであれば先にやるべきことをやらなきゃいけないし、やりたいことをやりたいのであればいい成績をとらないといけないし、そうしないと仕事も選べない。生きることも出来ない。


そうではないってこと???


え!?え!?え!?自分で選んでもいいの?でも、でも、ロクに勉強もせず、ダラダラ過ごしている僕のような人間が自由に好きにしてもいいの?

僕は、無意識のうちに自分を「やるべきことをやっていない人間」と設定し、そのような人はやりたいことをやってもいい資格なんてないと制限をかけていたということに徐々に気づき始めます。


大学生活は、残り2年。この期間で「自分の意思」を取り戻さないと、社会に出たら流されるようにロボットみたいな死んだように生きる人間になってしまう。


社会にでる時に、選ぶ会社で一生は決まってしまうだろう。そこから残りの人生を過ごす場所が確定してしまう。なんとしてもここで生まれ変わって「スタートライン」の時点では最高の状態に行こう。


僕のなかでは「7つの習慣」というものは社会に出る直前に人生を諦めかけた最後の最後、ギリギリで用意された自分の人生を生きるための大逆転へのパスポートのように感じられたのです。


最初に何度か1冊を通し読みしました。が、書いている内容は理解できるものの、ほとんどこんなもの実践できそうもない。


「7つの習慣」は大きく分けて、2つにブロックが分かれています。最初が主体的になり自分を確立するという内容。次が、社会性。他者や社会のなかでどのように振る舞っていくかという内容です。


読み込んでいって、まず前半部分の自立に取り組むことに決めました。後半以降は社会人になる段階で進んでいけばいいと判断したからです。

第1章、第2章を中心に繰り返し読み込んでいきました。移動中も、家にいる時も、何度も何度も反復していきます。


ある程度掴んだら、第3章以降を通しで読みながら確認し、どれだけ理解しているのか把握しながら、また冒頭を繰り返し読んで実践していくということをやっていきました。

学生時代だけで、20回以上は読み込んだでしょう。


1冊めはあまりにもボロボロになり読めなくなったので、2冊めを購入しました。


ここまで何かに取りんだことはなく、さらに日々考え方、価値観、ものの見方や捉え方が変化をする手応えがあり、大学時代の残り2年間の許す限りの時間を費やしていきました。


僕の人生の中で「こう」と決めたら異常に入り込んでしまう最初の体験です。


就職をする頃には、謎の圧倒的な自信、万能感が湧いていました。

「オレが思ったことは全部叶う」「オレならば人生どうにでもなる」「できないことなんて、なにもないね」「本当、周りは意識低いよね。人生とか考えてなさそうだけど、大丈夫なんだろうか?」と、友人たちを心配するほどに極端な方向に振れていくことになっていくのです。


たった一冊を読んだだけで、世界の全てを手にし、神になったかのような感覚になったひとりの大学生は、こうして社会にでていくことになりました。