シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

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「2日間の受験勉強」で大学を狙う〜「普通」になりたかったあの頃(3)

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さて、高校時代に狙い通りの根暗に見事なっていきました。それまでは、その日が楽しければ満足していた人間が、将来を次第に悲観するようになっていきます。

学校の授業や勉強など「やるべきこと」はまともにできない自分。落ち着きもないし、集中力もない。「何の役にも立たない」漫画を読んだり絵を描いたりゲームをするといったことだけは熱中できる。


「役立たないこと」しかできない自分は、これから先「役立たない人間」として社会に出ていくことになるのか・・・。


それは嫌だ。大学に行けば4年間は延長できる。よくわからないけれど、その間にきっと生まれ変わってやる気になって「堀内恭隆という人間は本当の才能がやっとここで開花したのだ!!」という瞬間が訪れるに違いない。


だから、とにかく大学に行こう。世間も大卒になれば将来が安泰とかなんとか言っているし。


最初は美術大学を目指そうとしました。が、親の反対にあい、あっさり折れました。スポンサーの許可が降りないとどうしようもないので、作戦を練ることに。

机に座っても5分と集中ができないため、「いかに勉強しないで大学に合格できるか?」ということばかり考えていました。


中学生の頃までは、勉強をしないでもそこそこ成績がとれました。

が、高校に入ってからはそうはいかなくなりました。

英語の偏差値は35まで落ちていきました。

でも、教科書を開くと頭がチカチカします。英単語を口にしようものなら身悶えするほど身体が拒否します。


当時、僕は理系のクラスにいました。理由は、なんだかカッコよさそうだったから。


ですが、数学がとてつもなく苦手で公式をひとつ覚えようとすると、もう頭の中がフリーズするのです。小学生の頃から、苦手なものはどれだけやろうとしても、全く集中できず、落ち着かない性質は変わっていませんでした。


社会にまだでたくない。大学にいきたい。でも、最初の関門の試験、いや受験勉強ですら、このままではまともにできない。


まっとうな人間であれば、入学できるように、教科書や参考書を開くことに時間を費やすことでしょう。が、当時の僕は、勉強せずに、いかに合格できるのか?という作戦を練ることに時間を費やしていくのです。



実際に “受験勉強” を一生懸命やったのは、高校3年間のうち、2日間だけです。

なぜ憶えているのかというと、いとこが家に来たときに僕の状態を見て「お前やばいよ!!」と言って、付きっきりで面倒を見てくれたからです。

しかし、その2日間で電池切れ。


翌日から、ますます机に向かうと何も頭に入ってこない日々が始まりました。漫画やアニメ、ゲームはスポンジのように入っていくのに!


そして、ある日!ついに僕は受験必勝法を見つけることができたのです。


それは、「文系数学」という受験方法です。


苦手な英語の比重が低く、数学は高校1年生レベルができれば十分。

僕は、クラスは理系でしたので出題された問題は驚くほど簡単。
ほとんど勉強しないでスラスラ解ける程度のものしか出ません。


残りは国語です。なぜか、これについてはほとんど勉強しないのにできました。

問題を読むとまるで映画のようにシーンに入り込めるのです。漢文だろうと、古文だろうと、イメージで読めました。作者の心情もありありと分かるので、そのまま答えたら正解というのがよくありました。


しかも、受験者数が少ないのです。ライバルが他の受験生と比べて圧倒的に少ないのです。ここであれば、俺はまさに無敵状態だ!


こうして、受験勉強2日間にして、大学に入学するという目的を果たすことができました。
 
 
が、「まともに」勉強して入らなかったことをどこか引け目に感じ、さらに、この頃には完全にモノにしていたマイナス思考が加わり、「こんな俺なんて、人生が上手く行くはずがない・・・」と沈む日々がつづくのです。

いきなり、マイナスしか考えられなくなる〜「普通」になりたかったあの頃(2)

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学校の先生や両親の反応を見て、どうも自分が普通ではないことは分かります。


中学生の頃、担任の先生に呼び出され、二人きりになり肩に手を置かれ、真顔でこう言われたことがあります。

「堀内、お前クラスで浮いているぞ。お前みたいなヤツが行く病院あるから、
 一度マジで診察受けたほうがいい。」


が、正直なところ僕にも、どの辺りが “浮いている” ということなのか、わからないのです。

加えて当時の僕は落ち込んで悩むということがありませんでした。自分が幸せで恵まれていて、みんなに好かれていると思っていました。

だから、先生からこのように言われようとも、深刻に思い悩むということもありません。

むしろ、どこか褒められたような感覚になっている始末。少なくともクラスのみんなの中で印象には残っているということだ。

まったく何の記憶に残らない人間よりは、どんな形であっても存在しているという方がはるかにいいに決まっている。


このように、当時は「みんなのようにまともになりたい」と思う自分と、「みんなの心に爪痕を残したい」という両面がいつも僕の中にありました。


いつもどこか浮いてたし、ふわふわしていました。「お前は極楽トンボ、能天気でいいねえ」とよくわれたものです。

そう言われても、人生ってどうせ失敗というものがないし、自分は根拠なく運がいい。なにがおきたって心配することないのに、なにをみんなガタガタ言ってるんだろう?と感じているところがありました。

親から見たときにこのままだと危なっかしくって生きていけるのか?と映ったのでしょうが、僕はのんびりしていました。

周りからは「このままで大丈夫?」と思われてたけど、自分は何かに守られているから絶対大丈夫、と思っていたのです。


ある時、歩いていると、全部が映画の場面みたいに幻に見えることがありました。

あれ??僕が観ている世界って本当に存在するの?実は、ひとりひとり世界って違うんじゃない?学校の友達とか本当はいないんじゃない?などと思ったこともあります。

僕が見ているこの「赤」は、人によっては違う「赤」なんじゃないか、とか考えていました。


現実がどうあっても、不安や心配にならない。僕の内面は幸せでのんびりとしているところがありました。


いま思うと、スピリチュアルの世界で言うところの「繋がっている感覚」だったのかも知れません。


そのあたりの感覚が、高校生のときになくなったのです。

いや、「意図して」失くしたのです。


友人で小林くんという人がいました。超イケメンで、運動神経も抜群。

彼が、ことあるごとに憂いていて、なんだかカッコよく見えたのです。

クラスや部活でなにかあるとそれはもう真剣に話している。心配していたり苦悩している姿が何だかセクシーで、のほほん、ふわふわだけで生きてきた僕には新鮮でした。


・・な、なんだか「そっち側」に生きたいではないですか!


そもそも、このまま物事のマイナス面を見られないと社会のなかを生きていけないのでは!?普通はもっと深刻だったり悩んでいたり、「現実」を見ていそうだし、影を背負っていそうだし、女子にだってモテそうじゃないか!


「よーーし!今から、マイナスを見ることにする!」と、ある日決めました。

ここで、マイナス「も」としておけばよかったのです。


僕はその瞬間から、マイナス面ばかり見えるようになってしまって、いきなり暗い人になってしまいました。

何を考えても、よい風に捉えられない。気分が沈む。いちいちくよくよ考えて、人の目ばかり気にするようになり、比較ばかりするようになりました。「どうせ自分なんて・・・」とどんどんコンプレックスの塊になっていったのです。


こうして、物事のプラス面しか捉えられなかった僕は、望み通りマイナス面ばかりを見ることしかできなくなりました。



・・・そして、その後、見事友人からは「お前さあ、どうしてそんな風にものごとを暗くしか捉えれないわけ!?もっと明るく考えようよ!!!」と言われるほどにダークオーラを発するようになっていったのです。

「普通になる」ための生存戦略を練る〜「普通」になりたかったあの頃(1)

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最近、Twitterをしています。

で、昨日いろいろと書いているうちに昔のことを思い出しまして・・


 

 




それで、書いているうちに昔の自分のことをじわじわと思い出しまして。


人には、とても言えないみっともない自分がいることがどんどん出てきまして。



いやーーー恥ずかしい!



僕、小学生の頃から何度も言われていたことがあるんです。


「落ち着きがない」


成績表の先生からの言葉には必ず「堀内くんは落ち着きがありません」と書かれていました。

三者面談で、母親が先生から必ず言われ、
そのたびに「ああ・・・」とすでにそれを予測していたかのようなそぶりを見せるたび、横で小さくなっていました。



落ち着きたくても落ち着けないんです。


机に5分10分も座っていると身体がゾワゾワしてきて、
先生の話も教科書もほとんど頭に入って来ないのです。


それで、身体を動かしていたり落書きをしていたり
妄想や空想をしていると、少しだけ落ち着いてくるのですね。


授業なんてほとんど耳に入りません。
文字も入って来やしません。


無理やり入れようとすると、全身がざわつきます。



一番苦痛なのは「やらなきゃいけない」ことです。


そして自分から自発的にやり始めた以外のことは

すべて「やらなきゃいけない」ことに自動的に変換される機能を
僕は搭載しているのです。


僕にとって、学校というものはまさに「やらなきゃいけない」ことのオンパレード。


「学校に行かなきゃいけない
「教科書を読まなきゃいけない
「勉強しなきゃいけない



このあたりのことから始まり


「45分間机に座っていないといけない
「静かにしてないといけない

「集中しなきゃいけない
「余計なことをしてはいけない



これらはすべて拷問でした。

「みんなできているから」とか「やっているから」なんて関係ありません。



もう、まともに座っていることですら苦痛で苦痛で仕方ありません。


静かに座っていようとすると身体のなかを虫が
ゾワゾワゾワゾワと走るような感覚になるのです。


なんとか時間をやり過ごそうと消しゴムを左から右へ移動させたり
椅子を小刻みに動かしたり、
教科書にでてくる偉人の鼻毛を片っ端から伸ばしたり・・・


このように自分を落ち着かせようとしていた行為が
さらなる落ち着きのなさを生み出すという悪循環。



ある日、給食の時間に学校で流される放送をクラスで放送することになりました。

友達でペアを組んで、相手のことを紹介するのです。
基本この手のお約束で「いいところ」を話します。

ひとりひとりが相方の紹介をラジカセに吹き込んでいきます。


そして、僕の番。自分が何を言ったのかも、どのようなことを話したのかも覚えていません。


ただ、僕の言われたことはいまでも覚えています。


「堀内恭隆くんを紹介します。
 授業中に走り回っていたり、うるさいです。

 もう少し、静かにしましょう。」


なぜか、お昼休みに説教食らわされてる( ;∀;)



最悪なことに、僕は言われていることの意味がわからなかったのです。


言葉はわかるのだけど、自分はそこまで目立って騒いでいるわけではないし、他の子と何が違うのか、わからない。



どうも、空気から何やら自分が浮いているらしいということはわかる。


が、何がおかしいのかわからない。


とにかく、普通の子ができることが、普通にできない。



この頃の僕が目標としていたのは、「普通になる」ということでした。



そこで「普通になる」ための生存戦略を練っていったのが僕の10代の歴史だったのです。