私たちは、『自分』というフィルターを通してこの世界を見ています。
『この人すごい!』と思っているときですら、
『この人みたいになりたい!』と思っているときですら、
『自分も、こんな人みたいになりたい!』と憧れを感じているときですら。
『自分』というフィルターを通してみています。
弟子や生徒として、師匠や先生、マスターと(その時感じている人と)
接しているときですら、"自分のフィルター" を通して
『この人、私の先生!』と見ています。
先生の教えをどれだけ謙虚に学んで従っていたとしても
自分を中心として見たときには『自分が主』で『先生が従』なのですね。
『私が認めている人』ということで
判断基準は、自分側でもっているのです。
ある方を賞賛して『私はあの人を全面的に尊敬しています。』と
言っているときですら
その “尊敬” という感覚にその人を対象にしてもいいという
『自分』というフィルターからの判断です。
では、その判断基準や根拠はどこにあるのでしょう?
なぜ、自分より進んでいたり真理を掴んでいる方を
私たちは、判断出来るのでしょう?
それは、すでに私たちの奥には全ての真理に繋がっている意識
真理そのものである意識があるからです。
その奥にある意識で感じ取っている『それ』を
いまの『自分』よりも豊かであったり、雄弁であったり
美しいと感じるような表現をしていると感じた存在だと感じているのです。
この人から学びたい!近づきたい!と私たちが感じているとき
本当は、その人へ近づきたいのではありません。
自分の内側にある “ それ ” に近づきたいのです。
自分のなかにある答えに近づきたいのです。
そう、私たちは本当は『自分』に近づきたいのです。
何かの教えや先生の元にいるときですら
本当は『自分』に近づきたいのです。
本当はすでに私たちは、真理をとっくに掴んでいます。
何かを学ぼうとしているとき、生徒でいるとき
ほとんどの場合には、私たちは『答え合わせ』をしたいのです。
自分が掴んでいる『それ』は正しいか納得したい。
確認したい。
だから全て自分のなかにあるし
外側にあるものを通じて内側にあるものへの
確証・確信を得ているのです。
そのような意味では、あなたがこの世界で一番進んでいる存在です。
それを心の底から認められたとき
私たちは自分の内なる真理と出会うことができるのです。
(旧ブログより転載・加筆修正)
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