シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

「いつか、見返してやる!」を手放せたときから、瑞々しい生命を生み出し続けることができるようになったのです。

昨年末、動けなくなってからやって来たことの
ひとつは、違和感の感じるものを
全て手放していくことです。


部屋の中にあるもの、大切にとっておいたもの
予定していたけど手をつけていなかったもの
やりかけていたプロジェクト管理表
バックアップデーター、メール、パソコンのデータ
ブックマーク、使わない電化製品・・


目に入ってきたものをどんどん手放していく。


手放せば手放すほど自分の中で貯めてきた
余計なものや拘りや執着が、どんどん軽くなって
いくのです。


それで、感覚がどんどんと研ぎ澄まされていって
ますます、違和感に敏感になる。


そのなかで、どうしても手がつけられない
ものがありました。

これまで捨てるという発想すら湧かなかった
ものたちでもあります。



それは、デザインの勉強をしていた頃の作品。

どんなに頑張っても何の結果が出なかった頃に
つくっていた、将来の行動計画。

コーチングの修行をしていた時代に
書き留めていたセッションの記録。


それらは全部、芽が出ない、結果が出ない
自分が唯一目にできる「頑張った結果達」。


これはね、愛おしくて仕方ないのです。

ちっぽけだけど、夢に向かって一直線に
歩んでいた自分の誇らしさやいじらしさ。


誰にも認めてもらえない
でも自分だけは分かっている。

ー いつしか絶対に誰かに認められてやる。


そんな、当時の結晶達が愛おしい。


同時に、気づいたことがあります。


僕の中に「いつか、見返してやる!」という
意地のような気持ちが、未だに燻っていることに。

どれだけ結果を出そうとも、関係なく
残っているのです。


あの頃、目指していたものは
ほぼ予想以上の形で手に入りました。


そんなものと関係なく、

「いつか、見返してやる!」

という僕の中の声は、かつての時間が
止まったかのように生々しくいまも
残っているのです。


そして、同時つくっていたデザインの作品にせよ
コーチングの記録にせよ
どれも修行中の未熟なものだから
未来永劫評価されることなどないのです。


それに気づいたとき、僕のなかで捨てることなんて
ありえなかった、愛おしすぎる昔の自分を
あっさり捨てることができました。


あれだけ手をつけられなかった過去の
結晶たちをひとつ残らず、綺麗に手放すことが
できたのです。


いま、ブログを書いていて
新鮮な新しい自分の感覚を感じることが
できています。


それは、僕の中でずっとへばりついていた

「いつか、見返してやる!」

という声を手放すことができたから。


誰かに認めさせて分からせてやろうという
エネルギーではなく
いま、この瞬間に湧いてきている言葉を
ただただ、紡いでいるという感覚のなかにいるから。


いま湧いてきているこの感覚は瑞々しく
未来を生み出しています。


もう見たくても、あの頃に生み出した作品達を
見ることはできないけれど
でも、常に新しく生み出している感覚が
いまも純粋な生命を誕生させ続けている。


「いつか!」なんて遠くを見ていた時代には
絶対に手に入らなかった確かなものを
いま、僕は手にしているのです。