読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シンクロニシティ・マネジメント 堀内恭隆 公式ブログ

インスピレーション力®で「望む未来」を「偶然」からデザインする

この瞬間に動かせるのは、手足が伸びる範囲。その「選択」に意思を込めるということ。

僕は人の目が気になるところがありました。

 
 
人の目だけではなく、人の気持ちや心の動き。
 
 
何かを受け取ると気になって仕方ない。
 
 
それが僕に対して向いていようが
向いていまいが、関係ありません。
 
 
誰かが怒っていたら自分のせいではないか
気を悪くしていれば、何かをしてしまったのではないか
機嫌がよければホッとしている。
 
 
そんな所がありました。
 
 
だから誰かといると、どこか気が休まらない。
 
 
それから、目の前の人の感情が流れ込んで
来る感覚になることが、多々ありました。
 
 
油断をしていると自分の気持ちなのか
相手の気持ちなのか
分からなくなってしまう。
 
 
 
だからこそ、自分の感覚や気持ちを大切に
しています。
 
 
色々な人の気持ちやエネルギーが動いていると
感じる時には、なおさら自分の感覚に
立ち返ります。
 
 
自分がどう感じ、どんな風に気持ちが動き
自分は何を大切にしているのか?
 
自分の気持ちよさ、居心地のよさ、不快感
いま、何が欲しいのか?それを大切にしています。
 
 
そしてそもそも、他者の気持ちなど
分かりようはずもありません。
 
 
分からない以上は、全部「妄想」です。
 
 
どこまでいっても、他者の気持ちや意志は
想像の域を超えることはないのです。
 
 
そんな妄想の世界の「誰かの気持ち」を
気に病んでくよくよしたり
思い悩むなんていうことへ
エネルギーを注ぐのであれば
 
いま、確実に存在している
自分の意思や想いを大切にしたいのです。
 
 
僕ができることは、手足を動かすこと
呼吸すること、話すこと、口を動かすこと
見ること、聞くこと、触ること、感じること・・
 
常に、それらのバリエーションだけです。
 
 
いま、この瞬間に動かせるのは
手足が伸びる範囲のことだけです。
 
 
だからこそ、自分の「選択」を大切にしたい。
 
 
どんな状況であろうと、自分の全責任において
何を「選択」するかを大切にしたい。
 
 
自分の手の届かない範囲、妄想の範囲にまで
「何とかしなきゃ」と思った瞬間
その「何とかしなきゃ」は、無力感となります。
 
 
無力な自分に対して、無価値観すら感じて
しまうことになります。
 
 
もし、誰かの目を気にして何かを選択した
場合には、その瞬間僕らは自分を失っている
ことになります。
 
それは「置き去りにしてしまった自分」を
生み出すことに繋がります。
 
 
そんなことを繰り返して
いつしか置き去りにしてしまった自分を
取り戻すような真似をするぐらいなら
「いま」の自分をしっかりこの手に掴みたい。
 
 
そして自らの手足をどう動かすかという「選択」に
自分の意思を込められたとき
それは、いまを確かに手にしているということ。
 
 
その積み重ねは、自分の人生を自らが形作っている
という実感を増やしていくことになるのです。